子どもの立場

 子どもの立場

大人にそれぞれの立場があるように
子どもにもちゃんと立場があります
その立場を理解しようとすることから信頼が生まれ
それが豊かな育ちを支える大黒柱になります

 夜泣きに代表される乳児の生理的欲求は、周りの都合とは関係なく一方的な行為ですから、母親の睡眠不足などお構いなしです。
特別問題があるわけではなく、ごくあたりまえのことです。それが生まれてすぐの乳児の立場です。
 そして、アイコンタクトや笑顔が生まれ、周りとの関係意識が少しずつできるようになれば、「おいしい」「すっぱい」「つめたい」「いたい」などの成り込み(まだ十分に表現できない乳児にかわって表現してみせること)が育ちの手助けになります。
 積木などで遊べるようになったら、今度は、「よくできたねぇ」「すごいね」「たかいね」などの子どもの行為に対する映し返し(評価)が必要になってきます。それ以降年齢が
上がっても、「痛かった」「悲しかった」「悔しかった」「うれしかった」などの感情を、その子の立場に立って言ってあげる成り込みと、子どもが自分の意思で行ったことへの評価をする映し返しを繰り返していきます。
 そうすれば、お母さんやお父さんのことを、気持ちを分かってくれる存在として信頼し、深い関係が強く結ばれていきます。人間は人間との関係の中でしか生きていけないから、この信頼関係の土台を抜きにしては、「幼児教育」も「しつけ」も語れないと思います。

子どもと一緒に笑う

 子どもと一緒に笑う

瞳を見つめあい
笑いを重ねるとき
心と心がやさしくひとつになる
それが「親子のきずな」のはじまり

 喜びから生まれる笑いは、幸福を呼ぶおまじないです。わが子に対して、「あなたの全てが大切です」と思う瞬間に喜びが満ちあふれ、親も子も、心の中に幸せが訪れます。
 喜びのない人は悲しみもないと言われます。喜びと悲しみの感情は、背中合わせの感情だからです。悲しむべきときに怒るのです。いらだつのです。キレルのです。そして人のせいにばかりします。そんな人に、よく社会は「我慢が足りない」「辛抱が足りない」と決めつけ、厳しくしつけなければいけないと言います。しかし、そうではありません。
乳幼児期の「喜び」「笑い」の体験が不足しているのです。幼児期の育ちは、親の感情と共に育っていきます。育ちを急がせる親は、命令的な言葉だけで従わせようとしますが、思うようにうまくいかず、親自身が思い悩み、焦り、苦悩します。そんなときには決して笑顔は生まれません。
 育ちに効率的な飛び級はないことを知り、子どもと一緒に積木を重ねていくように、一つひとつていねいに、育ちに寄り添っていくことが一番。そして笑顔が一番。一緒にいつも笑っていれば、もっと一番。

おいしいものを食べるより
ものをおいしく食べる工夫

おいしいものを食べるより
ものをおいしく食べる工夫

 お泊まり保育の朝食は、炊きたてのご飯とみそ汁とたくわんです。子どもたちの食欲は旺盛で、おかわりを何度もしながら楽しそうに食べます。
 料理をおいしく食べるには、食材が本来持っている味を最大限に引き出すこと。出来たてを食べること。それにみんないっしょに食べること。という三条件が必要です。
 おいしい食べ物を探すことに情熱を傾けるより、季節にあった旬の食材を使っておいしく食べる工夫をした方が、豊かな食生活につながるような気がします。
 子ども自身の「好き」と思える世界を広げるお手伝いが育児だと考えるなら、子どもといっしょになって、大人自身も身近な食の世界を好きと思えるように工夫して楽しんでみませんか。
 工夫することが心の豊かさへの第一歩だと思います。

両手はね 好きな人を抱くためにあるんだ

両手はね
好きな人を抱くためにあるんだ

 38歳で大腸ガンを告知され、最期のときまで、子どもたちに生きていくために大切なことを語り続けた、高橋一二三さんの話。
 亡くなって数年経ってから、長男がお母さんに話してくれました。「お父さんが教えてくれたの、ぼくたちみんなにね。お父さんベッドで手を出して、両手は何のためにあると思うかって聞くの。ぼくたちはボールを受けとめるためとか、ご飯を食べるためとか言ったけど、お父さんは、みんな合ってるけど、みんな違うって。両手はね、好きな人を抱くためにあるんだ。だけど、体だけを抱くんじゃない、心までしっかり抱くんだって。
心を抱きしめたいくらい好きになれた人でなければ結婚なんかしちゃ駄目だって。
お父さんはお母さんのこと、ほんとうに好きだから、心まで抱くんだって言ってたよ」 4人の子どもたちは、相談したいことや困ったことがあると、今でも近くにあるお父さんのお墓に行って、お父さんに相談するという。            
                         「壊れる日本人」柳田邦男より

 もし、一つだけしか、子どもにしてあげられないとすれば、私は迷わず、「無条件の愛情を示してあげる」とこたえます。
 なぜなら、子どもは愛情を感じるために生まれてきたのだから。

子どもの発達が少しくらい遅くても
その分、しっかり充実して育つ

 子どもの発達が少しくらい遅くても
その分、しっかり充実して育つ
 子どもの発達が他の子と比べて遅いと気になるものですが、そんなとき焦ってはいけません。発達の早い遅いを乗り物に例えてみましょう。飛行機や新幹線で移動すれば、はやく目的地に到着できますが、そこにたどり着くまでの経験はとても少ないですよね。ところが、各駅停車の列車や自動車だと、その道中でいろいろな経験ができます。歩いて移動すれば、もっと多くの経験ができます。育ちには出会いや見聞きして感じるという具体的な経験が多いことがとても大切なのです。
 育ちは、少しゆったりしているくらいがいいのです。「じっくり時間をかけて育っている」と思えばいいのです。昔から「大器晩成」という言葉がありますが、本当にすごい人は、才能の遅咲きが多いことから生まれた言葉なのでしょうね。
 今回の話にふさわしいかどうかわかりませんが、「佐賀のがばいばあちゃん」(島田洋七著・徳間書店)にこんな言葉がありました。「通知表が1と2ばっかりでごめんね」とばあちゃんが言うと、「大丈夫、大丈夫。足したら5になる」と笑った。
「通知表って足してもいいの?」と聞くと、今度は真顔で、「人生は総合力」と言い切った。
 なんていいばあちゃんなんでしょうね。私もそう言われて育ちたかった。

多くの体験をすることが最も大切な学習

 多くの体験をすることが
最も大切な学習
 乳幼児心理の特徴のひとつに、「具体性」があります。
 日常の身近な人の考え方や行動が、乳幼児にとって最も安心して理解しやすい
具体的なお手本です。乳幼児の学習は模倣活動から始まり、それを少しずつ発展
させていきます。わかりやすく言うと身近なものを「まね」することが学習なのです。
 乳幼児期の学習は、テキストの知識をいっぱい詰め込むことではないのです。
将来の知識のネットワークの充実(具体的に役立てることができる知識同士の結び
つき)は、子ども時代の実体験の多さと比例します。実体験は具体的に理解するため
の学習です。この実体験の中で失敗の繰り返しや喜怒哀楽の感情を経験することは
大変貴重なことなのです。そしてそれが生きる力にもなってきます。体験は特別な
ことをさせることではなく、身近なことで十分です。その瞬間に身近な人間が立ち会い、体験の共有ができればもっといいと思います。
 新しい園舎が完成して子どもたちも大喜びですが、園舎中央の吹抜けホールは
「異年齢交流」の場として設計しました。天然木の息吹を感じながら、日々生活体験
を充実させてくれたらいいなと思います。

子どもの関心に関心をよせることが
育児にとって何よりも大切なこと

 子どもの関心に関心をよせることが
育児にとって何よりも大切なこと
 今回は、保育先進国といわれる国の保育に対する考え方を少し紹介します。

●ノルウェー政府文書から
 「人生の一つの段階としての子ども時代は、それ自体きわめて
 高い価値をもつ時代であり、子どもにとっての自由な時間、
 独自の文化、そして遊びは決定的に重要なものである」

●イタリア・レッジョエミリア市の教育実践から
 「子どもの活動の底にあるステキな興味・関心を発見・理解しようとして
 子どもにかかわることが、保育のもっとも重要な仕事になる」

●ニュージーランド教育省発行の幼児カリキュラム「テ・ファリキ」の特徴
 「心地よく、安心できる自分の居場所があり、自分の力を発揮する機会が
 あって、物語・自然・文化・そこに生きる人たち等との出会いと対話を通じて、
 この世界の意味とそこで生きる意味を実感し、学ぶ意欲と力をつけていく。
 そういう生活をしたいという子どもたちの願いをしっかり受け止め、実現する
 ための領域設定」

 未来の労働力として教育・訓練に重要性ばかりが強調される日本の幼児教育の
 流れと比べ、とても豊かな内容を持っていますね。

たがやせ たがやせ 心とからだ
とことんやりぬけ 子どもという名の「あそび虫」

 たがやせ たがやせ
心とからだ
とことんやりぬけ
子どもという名の「あそび虫」
 千葉県富津市にある和光保育園の言葉です。すてきな言葉ですよね。私の
大好きな保育園です。園舎はすべて木造平屋造で広い縁側があり、壺井栄の小説「二十四の瞳」に登場する木造校舎のような保育園です。お寺の敷地に隣接し、周りは田んぼと雑木林で、子どもたちは遊び放題。普通は安全の
ために設置するフェンスもありません。でも、今まで何も問題は起きていない
不思議な保育園です。
 この保育園は、徹底的に「子どもの立場」に立ち、教育を知識の植え付けと
捉えず、能力をたがやし、自ら成る能力を引き出すことを大切にしています。
 私の大好きな理由は、「大人の都合」ではなく、「子どもの都合」を大切
にし、「とことん、子どものあそびをやりぬかせている」からです。この子どもにとっての充足感こそが、将来の生きるための知恵につながり、子ども同士の関係の中から、規範と知性を学んでいくのではないかと思います。
 子どもを大切に思うベクトルが、過干渉や強い庇護に向かうとき、実は子どもの育つ力を奪っていることに気づかなければいけません。一番いいのは、「子どもたちよ本気になれ!」、「大人も本気で関われ!」ということです。

ものの考え方もいろいろ

  ものの考え方もいろいろ

土を耕す文化と
移動しながら糧を得る文化
そのどちらも文化

  かつて、世界の覇者と恐れられた蒙古は、今の東ヨーロッパまで
その領土を拡大しました。彼らは豊かな草と水を求め、羊とともに
移動する生活をしていました。表土の薄い大地を傷つけることは
地力を失わせ、砂漠化を促すだけだと知っていたから、決して耕そう
とはしませんでした。そんな彼らのことを、漢民族は野蛮な「凶奴」
と呼び、その侵入を防ぐために万里の長城を築いたのはご存じですよね。
 漢民族は土を耕し計画的な農業を行うことで、優秀な文化を持つ民族
であると考えていました。このどちらが優れた文化を持ってるかという
比較は必要ありません。蒙古騎馬民族の、食べ物(羊)を連れて移動して
いれば飢え死にしないという考え方も、定住しながら計画的に作物を栽培
していく安定した生活という考え方も、どちらも正しいからです。
 要するに、その土地にあった生活をすることが、自然なことなのです。
 子育ても教育もまた同じです。「○○式教育法」を子どもにほどこせば、
優秀な人間に育てられる?勝ち組になれる?教育基本法に「愛国心」を謳えば、わが国を愛する子どもに育てられる?
もういい加減にしましょう。あまりに単純で、稚拙で一方的な考え方は、
子どもが迷惑します。まずは、大人が多くの知識と豊かな知性を持たなければ、子どもが豊かに育つはずもありません。
 なぜなら、子どもは大人のすべてを映し出す鏡なのですから。

あなたに会えて
誕生日のプレゼントみたいにうれしかったよ

  あなたに会えて
誕生日のプレゼントみたいに
うれしかったよ
 子どもたちは、いろいろなものの影響を大きく受けながら成長
していきます。
その影響力を「憶えさせる」方向に結びつけてしまうのが、
早期能力開発と呼ばれる教育方法です。このような「記憶する」
ことだけが人間のすべての価値を決定するかのような考えには、
非常に違和感を覚えます。
 教育再生会議で言われている「ゆとり教育の見直し」、「学力向
上」、「しつけの強化」だけが、今の教育問題を解決できるのでしょうか。
実は今問題にすべきは、「心の問題」です。「心の育ち」は、
乳幼児期の人と人の関係の中から芽生えてきます。そして、
心を映し合う関係の積み重ねがあって、はじめてお互いの心は育ちます。
心が育った子は主体性を持って、相手の主体性も認めることができます。
これが社会性なのです。ただ大人の言うことだけを聞いていれば、
良い子に育つなどということはありません。
 そういう育ちをしてしまうと、依存性が高く、無気力か、また逆に攻撃性
として現れる場合があります。つまり主体的に考える機会を与えられず、
「大人の都合で育てられてしまって、それは本来の自分ではない」という
葛藤に苦しんでいるのです。
 大人は「トトロ」が眠る大きな樹木のように、あたたかく、安心できる
存在でいてこそ、子どもは自分の心を育てながら成長していけると思います。
風景の一部にとけ込んでいるけれど、いつもしっかり見守っている大人に
なれたらいいですね。