つむぐ

つむぐ

綿を糸より車にかけ、ていねいに繊維を引き出し
よりをかけて糸にすることと
子育ては似ていませんか
 

  人は本来、衣食住のすべてを自給自足する能力を持っていました。それが現代の役割分業社会の中で、専門分野以外はその能力を必要としなくなりました。今はほとんどの人が、ものを作ることから、使う(使わされる?)生活を送っています。
 さらに最近は、携帯やパソコンの普及で、とても便利になり、バーチャルな情報社会が急速に広がってきています。このまま進めば、実体感を持たない無感情な人間を作り出していくような恐ろしさを感じてしかたありません。
 一方、子どもは子宮の中で地球の生命の歴史をたどるように成長していきます。生まれてからも同じです。合理的で早い成長などありません。非常に面倒で手間のかかるのが子育てです。実は、この手間のかかる過程が大切なのです。
 今は、一見合理的で便利な早期教育教材がたくさんありますが、ていねいに糸をつむいでいない布地がすぐに破れるように、それは豊かな人間には育ててくれないような気がします。
 急がず、あわてず、ゆっくり、ていねいに「糸をつむぐ」ように子育てしてみませんか。乳幼児期のていねいな子育てが将来の子どもの幸せの大きさにつながっていくと思います。

 

生きる力

生きる力

生きるということは
いろいろなことに関わるということ
生きる力とは
積極的に関わっていこうとする力

幼児期の遊びは一見無駄なようですが、実は将来の学びのための基礎づくりなのです。
 特に次のような
?ものごとに熱中し、没頭するという経験
?「いっちょうあがり」というような経験の仕方ではなく、納得いくまで自分で探求し試す経験
?人からやらされるのではなく、自分が探索、挑戦、創造するなどの「主人公」になる経験
?本気で外の世界とかかわり、世界が拡がっていくという経験
?頭でわかるのではなく、全感覚器官を働かせて「からだでわかる」とか「全身で実感する」という経験
 がある遊びを豊富に積み重ねることが大切です。
                      (青山学院大学教授佐伯胖)

 幼児期にいろいろなことに意欲があって、どれだけ全身で豊かな経験をしてきたかで、子どもたちの将来が変わっていくような気がします。子どもたちが主体的に遊べるような環境をつくることが、大人の仕事ではないでしょうか。

大すき

 大すき

遠くに見えたらワクワクします
近くに来たらドキドキします
目と目があったらズキンとします
あいさつできたらポーッとします
離れていったらシーンとします
見えなくなったらキューンとします
              小泉周二・詩集「誕生の朝」より

「すき」という感情は不思議ですね。心や体をすてきに変化させます。
 この感情は幸せに生きていくためのエネルギーだから、子どもたちは「すき」という感情をもつことが一番うれしいのです。
 そして、「すき」という感情にいっぱい出会い、生きていく世界をどんどん広げていくことができたら、きっと子どもたちの心は幸せを感じてくれるに違いないと信じています。
 自分の心と人の心が重なり合うとき、瞳は輝きはじめ、風のささやきや雨音までもすてきに聞こえます。そんな体験を重ねることが、豊かな感性の育ちにつながるのでしょう。
 今、私たち大人に求められているのは、誠実に、ていねいに生きていける能力を身につけさせる子育てだと思います。
 そして、子どもにとってすてきと思える人生は、子ども自身がすてきな心を持ったとき拓かれるのだと思います。

心の育ち

 心の育ち

自分のことが嫌いだったり
不満ばかりがいっぱいあったりと
今の自分がそのまま受け止められないとしたら
心が空っぽの状態です
そうならないためにも
「心の育ち」について考えて見ませんか

 今までの幼児教育は、知識を身につけさせる「教える教育」に重点を置きすぎていたと思います。しかし乳幼児の発達を考えるとき、教え諭すことだけではなく、自ら学ぶという要素も大事にしなければなりません。その学びの出発点に心の問題が大きく関わっています。
 心は目に見えない存在だから、どうしても発達段階がよく見える「憶える訓練」や「身体訓練」、「身辺自立訓練」を優先してしまいます。しかし実は、子どもの発達に最も大切なのは「心の育ち」なのです。心を大切に育てない育児は、表面的に大人に早く近づけているだけの、大人だけが満足している子育てなのかもしれません。子どもの本当の成長を願うのであれば、幼児教育をよく理解し、子どもが満足しながら成長する育児をしなければいけないと思います。
 育てることは、子どもの思い(心)に向き合うことです。毎日子どもの思いをいっぱい受けとめてあげることを繰り返すことで、子どもは心の存在を知ります。そのときから、人間としての大切な共感という能力が身につくのです。しつけや学びは、この共感性を土台にすることではじめて身につきます。

私とあなた

 私とあなた

未熟な私と未熟なあなた
相手の存在を鏡にして
はじめて自分の姿に気づく
そして、その心の姿を認め合う
そんな積み重ねを育ち合いといいます

 育ちは、未熟な「私」と未熟な「あなた」の関係からはじまります。親は出産したら、いきなり立派な親になるわけではありません。いくら育児の勉強をしていても同じです。
子どもが少しずつ成長するように、親もまた親として少しずつ成長していきます。
 だから学ぶのは子どもだけではなく、親も子どもから学んでいくことが大切なのです。
子どもは自然そのものだといわれます。親の価値観だけでは理解できない部分が多く存在するからです。そんな子どもを親と同じ価値観を持った人間にしようとしても無理な話です。
なぜなら、人間が自然を征服しようとすれば人間もまた滅びてしまうことと同じだからです。
全ての子どもは自分の意志で人生を歩こうとします。それが自然の姿なのです。
 子どもに健やかな成長を願うのであれば、未熟な「私」という大人と未熟な「あなた」という子どもが、お互いの存在を鏡にして自分の存在に気づき合うことが大切です。そしてその心の姿を認め合い、育ち合うことが必要なのではないでしょうか。

育つ歩調

 育つ歩調

子どもの成長には
それぞれに歩調があります
その歩調に合わせて
いっしょに歩いていくことが
大切なのかな

 子育てには、早道も効率性も存在しません。それは、毎日子ども自身が実感できる具体的な生活の積み重ねが、成長には必要だからです。無駄を排除して効率的な学習環境を設定したからといって、優れた人間に成長するとは限りません。むしろ逆に、与えられ指示された環境でしか生きられない人間を育ててしまう危険性が高くなるような気がします。
 乳幼児期の成長に最も必要なのは、ゆったりとした環境の中で身近な大人のあたたかい眼差しと、一見大人には無駄に思える子どもの活動を十分に保障してあげることです。指示を与えるだけがしつけや教育や子育てだと思わず、ときには子どもの生きる力を信じて待ってあげ、育とうとする意欲と力を支える援助が必要です。
 なぜなら、育ちの最終目標は、自ら考え、行動でき、その責任を持つことができる人間になることだと思うからです。子どもには一人ひとり育ちの歩調があります。子どもを育てることは、無理に大人の歩調に合わせることではなく、子どもの歩調に合わせて、いっしょに歩いていくことではないでしょうか。これは、子どもの生きる力を信じているからこそ、できることなのです。

身近なものとあそぶ

 身近なものとあそぶ

野の花や土や風など
身近すぎて見過しがち
でも、ときには自分を支えてくれる存在
何も言ってはくれないけれど
気持ちをやさしく揺り動かしてくれます

朝、まだ湿り気のある土に、やわらかいベールをかぶせるように日差しが重ね合わされる様が好きです。
遠慮がちに野の花が一輪あるのが好きです。
小さな葉先に朝露があれば、自身に潤いを得たみたいでうれしくなります。
遠くにたなびく雲があるのが好きです。
小鳥が風とたわむれる様が好きです。
船の汽笛がかすかに聞こえるのが好きです。
静寂の朝の全てが私をやさしく揺り動かし、豊かに満たしてくれます。
こんな、ささやかな存在に宿る魂に浄化されることの幸せに感謝します。
子どもたちの今が成長の朝とするなら、汚れのない無垢な気持ちで、
周りの小さな存在を好きになってほしいと願います。
まだ生きることがはじまったばかりだから、純粋に周りにあるものと戯れてほしいと
思います。

あなたにありがとう

 あなたにありがとう

私を支えるものは
あなたの笑顔
黙って話をきいてくれるだけで
自分の弱さも好きになれる
あなたがいてくれるから
がんばれるよ

あなたがお父さんでいてくれてありがとう。
あなたがお母さんでいてくれてありがとう。
あなたが友だちでいてくれてありがとう。
周りのみんなが、私を支えてくれるから、
くじけそうなときも少しがんばれる。
安心してそばにいられるから、自分のままでいられる。
いっしょに笑ってくれて、いっしょに泣いてくれて、いっしょに怒ってくれるあなたに、心の中でそっと「ありがとう」をつぶやきます。
あなたのことが大好きだから、自分の気持ちも大切にできます。
これからもずっといっしょにいてください。
子どもの幸せとは、そんな気持ちの中でいつまでもいられること。そのはじまりは、
「あなたが私の子どもでいてくれてありがとう」と、子どもの心を抱きしめてあげること。

自然な心の芽生え

 自然な心の芽生え

一点のかげりもなく
他に注意をそらすこともなく
湧き出てくる愛情を持って接する心の動きこそ
最も重要な「愛着」です
そこから心が自然に芽生えはじめるのです

「赤ちゃんは親、特に母親との親密で情緒的な交流が早期からしっくりいくと、自然な心の芽生えが生じる。心もまた母親のお腹にいる胎児と同じように、一貫して温かく親密で裏切られることのないふれあいの中で、すくすくと分化発達していけるのだ」
 乳幼児精神医学の専門家である慶應義塾大学医学部小児科講師渡辺久子氏はそう述べています。
 子どもの心は対象に対して、とても敏感で繊細です。親の都合や気分で接すると何がなんだかわからなくなるのです。だから、無条件の愛情を抜きにして、子どもの心は育たないといえるでしょう。そして怖いのが、親の都合で態度に二重性があれば、子どもはダブルバインド(二重拘束)を受けてしまうということです。例えば幼い子に、「おやつを食べなさい」と言ってお菓子を出す。子どもはお菓子の破片を床にこぼしながら、おいしそうに食べる。「そんなにこぼすなら、もうお菓子はあげない」と躾のつもりで怒ったとすれば、子どもの心の中には親の心を判断しがたい「???」がいっぱい残ります。このダブルバインドは極めて危険なゆがんだ「愛着」の向け方なのです。今社会で起きている
事件の一つの原因に、このダブルバインドを取り上げる学者もいるほどです。
 子どもにとって裏切られる心配のない、安心できる大人でいつもいたいですね。

心の帰るところ

 心の帰るところ

すべてを包み込んでくれる人
ゆっくりとやさしく流れる時間
あたたかい日だまりのある場所
そこが心の帰る場所

人は脳(心)の損傷をある程度回復する力を持っていますが、また逆に回復を阻害する要素も持ち合わせています。
 前者の場合は、人生の中で最も幸せを実感した子ども時代の環境(人や場所)に再び身を置くことで、不思議とその力が生じてきます。後者の場合は、ストレスを感じる環境にいる場合です。
 脳細胞は20歳を過ぎると、ひたすら死滅していき、再び新しい脳細胞は作られないというのが定説です。ところが子ども時代に、最も幸福だった経験があれば、その環境に再び身を置くことで部分的に脳細胞(ニューロン)が新しく作られることがあります。
 この点からも、乳幼児の育ちには、無条件に最大限の幸福を実感できる環境が大切
なのですね。あの子ども時代に戻ってみたいと思えるような、あたたかく豊かに育つ
環境をみんなで手づくりしていきませんか。